貸金業法の改正はなぜ行われたのか?いわゆる「総量規制」で一番得をしたのは?
キャッシング大全では至るところで出てくる話題ですが、2010年に改正貸金業法が施行されて以来、消費者金融各社は銀行カードローンの攻勢に苦戦を強いられています。
「多重債務で苦しむ人を増やさない」というお題目のもと年収の1/3以上の借入れができなくなったため、自身に収入のない専業主婦が消費者金融で借入れをすることができなくなってしまったためです。
とはいえ、家計をやりくりするためにお金を借りる必要性というのは決してなくなるものではありませんし、杓子定規に線を引かれてしまったことによる不満の声が一般消費者からあがっているのもまた事実です。
参考記事:
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では、なぜ健全に利用する分には何も問題がないはずの消費者金融を規制強化するような貸金業法を改正する必要性があったのでしょうか?
このページでは、改正貸金業法が改正されるまでのいきさつ、そして消費者金融の貸付が強化されることになった「総量規制」により借りられなくなった人たちのニーズの受け皿はどうなったのか?という部分まで、改正貸金業法について徹底的に深掘りしたコラムをお届けします。
参考記事:
貸金業法や総量規制についてよく理解ができていない人は基礎ページをご覧ください。
1.「貸金業法」と「改正貸金業法」の違いとは?
社会問題にまで発展した貸金業者をめぐる社会の動きやヤミ金業者の事件を契機に、安全な貸金市場についての議論が、国会や法曹界、その他関係各所の専門家や有識者によって活発に行われるようになったのは、2000年以降のことです。
それまでも、貸金業者の営業体制や利用者間との問題、金利についての議論や法改正は、時代の変化と社会情勢の動き、そして、さまざまな社会問題が浮上する度に執り行われてきました。
そして、特に、高度経済成長期以降、サラ金問題やヤミ金と呼ばれる金融業者の執拗な取り立てによる利用者の生活苦などがクローズアップされ、新聞やニュース等で大々的に取り上げられるようになったのです。
このように、日本における債務者の問題は、社会で大きく取り上げられるごとに国を挙げて取り組みがなされてきたわけですが、昨今の貸金業法改正の動きの中で、多重者問題の改善プログラムの施行が同時に行われたのは、2010年施行の「改正貸金業法」からだったと言ってよいでしょう。
また、「改正貸金業法」は、消費者金融やクレジットカード会社など貸金業者を対象とした法ですので、銀行や信用金庫、労総金庫や信用組合と言った金融機関は順守義務の対象とはなりませんが、この「法」によって、貸金業者は厳しい取り締まりを受けることとなり、一方、安心して利用できる貸金市場の構築に向けて取り組みが行われることによって、あくまで法律上では、利用者側は健全な利用を保障されたわけです。
しかし、この貸金業法改正から現在まで、貸金業者への規制を中心とした動きを俯瞰してみると、改正の契機となった社会的問題は沈静したように見受けられるものの、実際には、施行を経て、「改正貸金業法」を遵守する義務のない銀行など金融業界全体を巻き込んだ新たな問題が浮上してきたというのが現状です。
では、「改正貸金業法」施行後の新たな問題とは、どのようなものなのでしょうか?
そもそも「貸金業法」が、改正された背景には、どのような事情があり、貸金業者の状況は、改正前後でどのように変化していったのでしょうか?
今回は、そのような点も明らかにしながら、「改正貸金業法」をめぐる金融業界と社会の動きについて見ていきます。
そこで、以下では、まず、「改正貸金業法」と前身の「貸金業法」との違いはどのような点にあるのかを貸金業者の歴史と共に概観してみたいと思います。
1-1 貸金業法と貸金業者の歴史
貸金業の形態の変化と法律
日本における貸金業の規制や取り締まりは、その時代の変化と貸金のシステム、それらに付随して起きてきたさまざまな問題によって、変化してきました。
「法」として規制され、広く一般に認知されるようになるのは、近代化以降ですが、貸金業の始まりは、古く、平安時代からと言われています。
「高利貸し」という言葉もその一端ですが、システムとしては、1900代前半に物を担保にしてお金を得るといった「質屋」をイメージすると分かりやすいでしょうか。
時代の流れの中で1920年代後半に「銀行」が個人向け融資を始めたことをきっかけに、徐々に融資業態にも変化が現れ、物を担保とする「質屋」の存在が次第に薄れていったのです。
一般に貸金業と呼ばれる稼業が法律上で規制対象となったのは、1939年の「金融業取締規則」からです。
金融業取締規則は、警視庁令第29号として施行されたものでした。
かつて、一世を風靡した映画や文学に借金の取り立てが多く描かれ登場したように、戦前の貧困層が犇く格差社会の中で、悪徳高利貸しが横行し、執拗で暴力的な取り立て等によって苦しむ庶民の話があちこちで聞かれた時代です。
そのような背景から、金融業取締規則は、借金に苦しむ庶民の安全と治安維持のために、現在の金融庁など金融を司る行政担当部署の管轄ではなく、警察による取り締まりのための規則として制定されたのです。
金融業取締規則が、金融行政の監督下ではなく、警察の監視下に置かれたのは、上記のような貸金業を取り巻く暴力的行為への対応の必要性からだったと言えるでしょう。
また、この金融行取締規則の内容には、現在の貸金業法のように、許可を受けた者のみが、貸金業を稼業として営業することができること、融資取引の際の契約等については、必ず書面で説明を行い契約書等の交付を行うこと、また、虚偽、誇大広告の禁止などについての厳しい取り決めが盛り込まれ、施行から戦後を経て7年間ほど貸金業者を規制してきました。
しかし、この金融行取締規則も戦後の新憲法成立の際に廃止されることになります。
戦後、食糧難で貧困に喘ぐ多くの人々の中で、窃盗はもとより、強盗、殺人といった犯罪が横行し、警察は、治安の乱れや荒廃しきった社会の混乱を収束させるべく駈けずり回った時代でした。
そのような中で、警察自体が、貸金業の取り立てまでをも監視している余力も人員もなかったという見方も一理ありますが、それ以前に、金融行取締規則が廃止された要因は、これまでの旧憲法を新憲法へ書き換え、あるいは組み込む時点で、新憲法の形式に金融業取締規則を取り込むに適した項目が見つからず失効したままの状態となってしまったという見方の方が有効でしょう。
このように、新憲法のもとで、金融行取締規則は廃止となった日本の貸金業界は、取り締まりのない中で無法地帯となり、高金利での融資や暴力的な貸金業者の横行によって利用者が苦しめられることで安寧秩序が保たれなくなっていくのです。
1949年に「貸金業等の取締りに関する法律」が施行されたのもこのような背景から必要性に迫られたからと見て取ることができるでしょう。
これは、戦後、社会経済が混乱する中で起き、大きな社会問題となった「保全経済界事件」などの詐欺事件や悪徳金融業者による被害が拡大していったことを契機に、貸金業者や詐欺、上限金利を取り締まる法として施行されたのです。
このような流れの中で、1954年には、「利息制限法」の施行に続いて、「出資法」も施行されることとなります。
そして、貸金業者の形態の変化が、顕著にみられるのが、高度経済成長期以降です。
個々の就業形態も著しく変わり、消費行動が活発になったことで個人の資金需要が高まり、
担保は質屋のような「物」ではなく、「個人信用」へと現代に通じる貸金システムへと本格的に変化していったのです。
また、1970年代後半にかけて、貸金利用者の増大に伴い、悪質な貸金業者やサラ金が増え、借金による生活苦や過剰取り立てを理由にした家出や失踪、自殺が問題となり、国会でも社会問題としてしばしば取り上げられていました。
日本の高度経済成長期に人々の暮らしが大きく変わったこと、質屋に入れていたような「物」の価値が大きく下がり高額な家電製品を購入するための資金調達などから、ローンや貸金の利用者も拡大し、貸金業をめぐる問題もこれら社会の動きと共に大きく変化していったのです。
「貸金業法の成立」から「改正貸金業法」施行までの流れ
これらを受けて1979年5月には、「貸金業法案」が、国会に提出され、それから、4年後の1983年4月に「貸金業法」の前身である「貸金業の規制等に関する法律」(略称「貸金業規制法」)が成立し、同年末に施行されました。
この施行の目的は、安全な金融取引ができるよう利用者の保護を図り、貸金業を稼業とする者の登録制度を実施、主務大臣や各都道府県知事等による運営の監督と過剰貸し付けや過酷な取り立ての禁止など適正な活動の確保に努めるよう規制を行うというものでした。
さらに、のちにグレーゾーン金利で問題視されることとなる「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」、通称「出資法」が改正されたのも同時期のことです。
ただ、1983年時点では「改正出資法」貸付の上限金利は、年109.5%から73.0%に引き下げられたのみで、20数年後「みなし弁済」で問題となる金利からは大幅に高い数字でした。
しかし、この法案が成立し施行された後の1984年には、貸金業者の増減をめぐる社会の状況は、改正貸金業法施行後の社会状況と似たような状況になます。
多くの貸金業者が経営難で倒産し、前年度約23万社あった貸金業者が翌年には、3万社になるという貸金業界の経営が崩壊に追い込まれる事態に発展したのです。
しかし、改正によって貸金業による個人向け貸し付けの全ての情報が集約され、指定信用情報機関に登録されることによって、利用者の借入件数や総借入額などが一度に把握できるようになったのです。
2.総量規制の導入
また、前述の調査と同時に、返済能力を超える貸し付けを禁止するために総量規制が導入されました。
総量規制とは、利用者の年収の3分の1を超える貸し付けの禁止です。
ですから、例えば、年収300万円の人は、100万円を超える借り入れはできないということになったのです。
さらに、借入残高が50万円を超えるもの、また、総借入額が100万円を超える場合には、年収を証明する書類を利用者から受け取ることを義務化しました。
「金利の適正化」
「改正貸金業法」における金利の適正化の要点は、上限金利の引き下げとグレーゾーン金利の撤廃の2つです。
それまでも「利息制限法」での上限金利は、利用する金額に応じて15%-20%となっていましたが、「出資法」で定められた金利との開きはあまりにも大きいものでした。
そこで、高金利違反として処罰される「出資法」の上限金利をそれまでの29.2%から20%に引き下げたのです。
この「出資法」の引き下げには、みなし弁済制度が大きく関わっています。
前身の貸金業方法には、このみなし弁済という法制度が残っていたために、多くの利用者が高い金利を支払い続けなければならないという状況となり、借金返済に苦しむことになったのです。
そして、この法によって多重債務者が増えたと言っても過言ではありません。
このみなし弁済とは、簡単に言えば、「利息制限法」の15%-20%の上限金利を超えてしまったとしても、ある条件を満たし、「出資法」の上限金利29.2%を超えていなければ、「出資法」の上限金利で貸し付けを行ってもよいという内容のものです。
しかし、みなし弁済制度での「満たすべきある条件」自体が、簡単にクリアできてしまうようなものばかりであったがために、ほとんどの場合、高い「出資法」の上限金利を適応させることができてしまっていたのです。
よく言われる「グレーゾーン金利」は、上記の「利息制限法」の15%-20%の上限金利と「出資法」の上限金利29.2%との間の金利差の部分のことを指します。
しかし、貸金業者にとって大変有利な法であった旧貸金業法と「出資法」でしたが、貸金業法改正によって、利息制限法の上限金利を超えた金利での貸し付けは、行政処分の対象となったのです。
ヤミ金対策による超高金利貸し付けへの罰則強化
貸金業法が改正されたことによって、ヤミ金に対する罰則も強化されました。
具体的には、高金利での貸し付けや登録をせずに無許可で営業していたといった場合、それまでの「5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金」から「10年以下の懲役もしくは3000万円(無登録法人の場合1億円)以下の罰金」へとまた、2000年以降も悪質な貸金業者の貸し付け被害が横行したことなどから、ヤミ金融対策法や中小企業への過剰融資や取り立てを問題視した商工ローンへの規制、違法年金担保融資の禁止などが加えられていくのです。
このような背景から2005年には金融庁が「貸金業制度等に関する懇談会」を設置。
「貸金業の規制等に関する法律」を中心とした貸金業に関する法律は、貸金業への規制強化とそれらをめぐる問題に対応するために施行され、附則を設け、あるいは改正されてきました。
そして、この「貸金業の規制等に関する法律」が、以降の改正に伴い現在のように正式名称を「貸金業法」としたのは2007年のことです。
この後「貸金業法」は、貸金業者や利用者、その他、関係各所の準備等やそれぞれの影響を考慮され、2010年の「改正貸金業法」の完全施行までに数年をかけ4段階に分けて改正されてきました。
上記のように、「貸金業法」は、その法律のみが突然施行されることになったわけではなく、前身となる法律や貸金業を規制する定めの流れの中で交付されたものなのです。
このように貸金業法は、貸金業が稼業として社会に認知され、多くの人々が利用するようになる中で、その問題に対応するべく、法律が施行され、新たな問題が起きるたびに繰り返し改正されてきました。
1-2「貸金業法」との違い~「改正貸金業法」では何が強化されたのか?~
さらに、2010年に完全施行された「改正貸金業法」は、ヤミ金問題、多重債務問題、自殺者増加など社会問題化したさまざまな問題に対応するべく改正されたものですが、前身の「貸金業法」とは大きく変わる点がいくつかあります。
この改正の目玉は、上限金利の引き下げと総量規制の導入ですが、「貸金業法」から「改正貸金業法」への改正の中で強化された点は、大きく3点。
「貸金業の適正化」「過剰貸し付けの抑制」「金利の適正化」です。
それでは、以下に、それぞれ、どのような点が強化されるようになったのかをまとめていきます。
「貸金業の適正化」
貸金業の適正化は、貸金業者の健全な運営のために改正されたもので、違法行為や過剰貸し付けが行われないように取り締まりを強化するために行われたものです。
具体的には、大きく4点ほどに分けることができます。
まず、財産的基礎要件として、資本金(最低純資産額)を「貸金業法」で定められていた個人300万円以上、法人500万円以上から、段階的に引き上げていきました。
これによって、施行後1年半後には、2000万円となり、最終段階では、個人法人の形態に関係なく資本金は5000万円以上なければ資金業を営むことはできないことになりました。
また、その他の条件として、営業所、または事業所ごとに、法で示された人数の貸金業務取扱主任者を配置することが義務付けられました。
これによって、貸金業者は、上記要件の通り、貸金業務取扱主任者の国家試験に合格しなければ営業できないこととなり、法を遵守するために貸金業務取扱主任者の指導と助言の元で運営することが定められたのです。
さらに、無登録営業に対する罰則を強化し、改正前の5年以下の懲役もしくは 1000万円以下の罰金」から、改正によって「10年以下の懲役もしくは3000万円以下の罰金」へと罰則が強化されたのです。
自主規制の強化では、法で定められた規制や法令の遵守、また、貸金業協会を内閣総理大臣の許可を受けた法人として位置づけ、都道府県ごとの支部設置が制定されました。
さらに、広告やテレビCMなどで取り上げられる頻度や内容、勧誘の方法、過剰な貸し付けの防止などについて自主規制ルールの制定とその認可制が導入されました。
行為規制の強化では、取り立て規制の強化、契約時の貸し付け内容の説明など債務者の不利な条件での借入防止などが加えられました。
具体的には、昼夜を問わずに行われる不当な取り立て行為などの規制強化、債務者の自殺等によって保険金が支払われる保険契約締結の禁止、連帯保証人への説明の義務化と保護の徹底、公正証書作成のための委任状や委託委任状の取得禁止や貸し付け時の元利負担額等の内容説明と書面での交付の義務付けなどが挙げられます。
ここでは、法令違反に速やかに対処するため、違反行為を行った貸金業者に対して、改善命令や登録抹消、業務停止の措置をとることができるという法令が導入されています。
この他、立ち入り検査や報告書の提出義務など対象範囲を拡大して、その業務監督が厳しくなされるなど、といったことが盛り込まれました。
「過剰貸し付けの抑制」
次に過剰貸し付けの抑制では、借入前に債務者の総借入総額を把握できる仕組みを整え、また、借入制限を設けることで、過剰貸し付けや債務者の借金負担問題を未然に防ぐことができることを目的とした法令が導入されています。
さらに、これまでの規制では、規制違反があった場合には、努力義務として対処されてきたものが、改正によって違反は行政処分対象と厳しく取り締まりを受けるように変わりました。
返済能力調査の義務化に伴い、指定信用情報機関が設立され、貸金業者が、貸し付け審査の段階で利用者の総借入残高を把握できるようその仕組みを整備しました。
さらに、利用者の書類提出による年収等の把握、また、該当機関を利用し、利用者の返済能力を調査することも義務付けられました。
現段階で、指定されている信用情報機関は、株式会社日本信用情報機構および株式会社CICの2社となっています。
改正以前も信用情報機関が無かったわけではありませんが、未加盟業者が多いことや信用情報機関同士での情報共有がなされていなかったことから、利用者の返済能力を判断するには不十分であったことも改正の理由として挙げられます。
引き上げられたのです。
2.貸金業法の改正はなぜ行われたのか?その目的と背景とは?
前述のように「改正貸金業法」は、その前身である「貸金業法」から、大きく転換し、貸金業の適正化に向けて、規制の厳格な強化が執り行われたのです。
しかし、これらの規制強化は、その全てが全会一致で採択されたわけではありませんでした。
2005年に金融庁が「貸金業制度等に関する懇談会」を設置し、2006年に貸金業の規制に関する法律の一部が改正されてから、時期を4段階に分けて全ての法改正が完全施行されるまでには、貸金業者など業界団体の抵抗、法曹界からの強い要望、その他、有識者や学者、関連省庁や地方自治体とさまざまな立場から改正反対、賛成など完全施行に関して賛否が問われてきたのです。
2-1完全施行前後の賛否
貸金業法改正への賛否の声
貸金業法改正に向けた動きが強まる2000年前半は、1990年代からの経済の傾きに日本が長引く不況を抱え悪戦苦闘を続けた時代でもありました。
この時期、日本は、バブル崩壊から、消費税の引き上げ、ゼロ金利政策の導入、そして、世界的な金融危機と、不安定な国家経済は、市民の生活と家計の状況のみならず、人生までも大きく変えた時代でもありました。
そのような不況の中で、貸金業法改正への不安と懸念の声が上がってきたのです。
それは、経済不況の中で窮乏に喘ぐ中小企業の経営のさらなる悪化と資金繰りへの影響でした。
それまで、中小企業経営者は、個人として消費者金融からの借り入れを行うケースも多く、貸金業法改正による規制強化によって存続が危ぶまれる中小企業も出てくるのではないか。
さらに、総量規制によって、完全に貸金業者からの借入が適わなくなった収入のない専業主婦や低所得層の利用者が生活苦から、ヤミ金を利用するというケースが増え、根本的な問題解決にはならないのではないかと言った懸念も多くみられるようになったのです。
また、総量規制を導入して、融資額を規制することや上限金利を規制してしまうことが、資本主義社会における自由経済というあり方に反してはいないかと言った議論も飛び交いました。
社会問題の抜本的改善と利用者の保護、そして、適正な貸金業の運営には、貸金業法の改正なくしては成し遂げることはできないとする完全施行を強く求める賛成派と貸金業界などに大きな影響を与えることになる上限金利の引下げや総量規制の効果を疑問視し、改正を強行すすれば、悪徳金融業者の話に留まらず、貸金業界全体の崩壊につながり、さまざまな職業や部署のみならず、ひいては日本の経済のさらなる悪化を招くことになるのではという改正反対派との間で激しいやり取りが行われたのです。
「借り手の目線に立った10の方策」
このような状況を踏まえ、政府は、改正資金業法が円滑に執り行われるよう、2009年に貸金業制度に関するプロジェクトチームを発足し、実態調査と問題把握に努めたのです。
そして、会議を重ね「借り手の目線に立った10の方策」を取り決め、「改正貸金業法」は、当初の予定通りに完全施行されることとなったのです。
この「借り手の目線に立った10の方策」とは、
1.完全施行後、総量規制に抵触する新規借入は不可能とされていたものを月々の最低要返済額が減少するような借り換えは可能とした。
2.個人事業者が事業資金の融資を受ける場合、事業、収支、資金計画等、時間がかかり、面倒な書類作成とその提出を行わなければなりませんでしたが、それを簡素化し、さらに融資額が100万円以下の場合には、返済能力調査を簡易化してもよいこととした。
3.規定上、個人事業者の事業所得は、年収と認められていなかったために、事業者としての借入はできたものの、個人消費者として融資を受けることが難しいという状況を加味して改め、事業所得のうち、安定的な年収と認められるものについては、総量規制基準の年収として加えた。
4.住宅ローンやマイカーローン、その他、総量規制の例外と適用除外の分類を消費者の消費行動や利用状況等を踏まえ、利用者の立場から再検討。
5.改正法案導入時の経過措置として、収入証明書提出の延長やそれと認められる書類の追加など、円滑な施行のため、貸金業者の借入時の事務手続きについて見直し。
6.健全な消費者金融市場形成のため、銀行や信用金庫等が消費者向け貸付けを行う際にも貸金業者と同様に信用情報等の活用や厳しい取り立てが無いよう体制整備について考えることとした。
7.多重債務者等の生活再建や事業再生のために生活福祉資金貸付制度やセーフティネット貸し付けの推進、さらに経営相談の充実を要請。
8.多重債務者へのカウンセリングの実施など生活再生支援の具体的な改善点や強化が示された。
9.改正法施行によって借入が難しくなる人々がヤミ金融に流れ被害にあわないようヤミ金対策の一層の強化。
10.改正貸金業法の認知度を鑑み、その向上を図り、その内容を広く周知できるよう広報の形態や実施について対策が取られた。
このように「借り手の目線に立った10の方策」では、貸金業者と利用者の実情を踏まえた上で、双方の状況に配慮した方策と内容を提示したのです。
2-2貸金業法改正の背景と目的
多重債務者増加への日本経済の影響
では、そもそもどのような背景から、「貸金業法」改正の案が出てきたのでしょうか。
「多重債務問題」については、政府が貸金業法の改正に乗り出す以前から、深刻な社会問題となっていました。
高金利での過剰な貸し付け、簡単に借り入れできる商品性、また、借入時に利用者が商品への理解が十分にないといった利用者の金融知識の不足や貸金業者側の金融商品の説明不足など実際の取り引きを概観しただけでも利用者側にとってリスクの高い借り入れによって、多重債務者は増大していったのです。
しかし、多重債務者が増加していく理由には、貸金業者側や利用者側の金融取引の粗雑な現状ばかりに原因があったわけではありません。
上記に挙げた「過剰貸し付けの抑制」や「金利の適正化」で取り上げたように、高すぎる金利や勧誘等での貸し付けなど、法で定めのない、あるいは、法の隙を突いた金融取引の実情が、長年野放し状態になっていたこと、銀行融資の敷居の高さ、さらには、1990年代から続く深刻な社会経済状況を日本自体が抱えていたことなど、多方面からのさまざまな要因が重なったことによって多重債務者は増えてきたのです。
改正貸金業法施行以前、5件以上の貸金業者から借り入れをしている多重債務者数は、ピーク時で約230万人、さらに債務者が抱える平均借金総額は約240万円と言われ、ヤミ金問題が多発し、それらの貸付残高がピークに達した2003年には、自己破産件数も年間24万人を超えていました。
1990年代のバブル経済崩壊後、日本における完全失業率は、徐々に増加。
バブル経済崩壊の影響は大変大きく、長引く平成不況の中で、不良債権を抱えた銀行は、相次いで破綻や合併に追い込まれることになるのです。
1997年には、山一證券と北海道拓殖銀行が、そして、翌年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が相次いで破綻し、銀行はつぶれないという神話は脆くも崩れ、人々は、経済不安に陥っていくのです。
さらに、同年のアジア通貨危機以降、就職氷河期へと突入する日本社会経済の状況下で、1990年代後半からは、大企業の倒産や吸収合併等に加え、企業の経営不振による本格的なリストラのニュースも頻繁に聞かれるようになりました。
長引く日本の経済不況と大手企業の数千人規模のリストラが続く中で、失業者数も大きく跳ね上がり、2002年には、過去最高の5.4%に達しました。
その後、2007年まで景気拡張期と共に完全失業率は下降し、徐々に回復してきたかにも見えましたが、世界的な経済不況を巻き起こした2008年のリーマン・ショックから再び失業者は増加し、国が961兆円もの巨額の負債を抱える中で、2009年の完全失業率は、5.1%へと再び状況が悪化していくのです。
これらの状況は、高度経済成長期から2度のオイルショック危機を経ても完全失業率が2%台にとどまった時代と比較してみれば、容易にこの時期の日本の社会や経済の深刻さを見て取ることができるでしょう。
さらに、政府が提示している上記統計には、求職活動をしていない人は、例え無収入であったとしても、完全失業者数にカウントされていないため、実際の状況は、それよりも過酷なものだったと言えるでしょう。
また、複数の金融機関からの借金に苦しむ債務者とその年収を調査してみると、低所得者層がその多くを占めていることがわかります。
この点からも、無収入となる失業者は、一度、借入をしてしまうと借金の返済をするために新たな借金で補うといった借金の負のスパイラルから抜け出ることが難しく、その結果、多重債務者となるケースが多いのです。
これらのように、多重債務者が増えていったその背景には、日本の景気の低迷とそこから派生してきたさまざまな問題が大きく関係していることが分かります。
多重債務問題と自殺者数の推移
さらに、上記のようにヤミ金が横行し、自己破産件数が年間24万人となった2003年には、
同様に生活、経済苦による自殺者数もピークを迎えています。
日本での自殺の理由として多いものは、「健康問題」、「経済・生活問題」「家庭問題」となっていますが、年間24万件もの自己破産件数を出した同年の生活・生活問題を理由とした自殺者は、8897人と史上、類を見ない数に上ったのです。
日本経済にとって大きな打撃となったバブル経済崩壊を経験した1992年の経済・生活苦による自殺者数を見てみると、その人数は2062人。
それらを比較すると、2003年にはバブル経済崩壊後の自殺者数の約4倍から5倍とその深刻さを見て取ることができます。
このような状況を受けて、2007年からは、全体の自殺者のうち「多重債務を原因とする自殺者数」の内訳が公表されるようになりました。
これによれば、2007年1973人、2008年1733人、2009年1630人、2010年1306人となり、公表のない2003年との厳密な比較はできませんが、その数は徐々に減少してきていることが分かります。
さらに、改正貸金業法完全施行後の2011年には、「多重債務を原因とする自殺者数」は、998人と初めて内訳が公表された2007年と比較すると、その人数は、約半数までに減っていることが分かります。
そして、「多重債務を原因とする自殺者数」は、改正貸金業法完全施行後2011年の998人から翌2012年には839人、2013年688人、2014年677人と減少してきました。
一方、貸金業者からの借入が5件以上の多重債務者の推移は、法改正以前の約230万人から2007年には約171万人、2009年には100万人を下回り、改正貸金業法が完全施行されてから2年後の2012年には、約44万人へと減少しています。
以上のそれぞれの数字は、貸金業法改正後の効果と見てとることができるでしょう。
しかし、全体の自殺者の内訳では、その原因が「不明」というものも多いことから、その内訳に多重債務を理由とする人数が含まれていることを鑑みれば、以前として、深刻な状況であることに変わりはないと言えるでしょう。
また、失業者数が過去最高となった2002年以降の男女別、年齢別の自殺者データをそのピーク時に焦点を当てて見てみると、一番多く見られるのは50歳代の自殺者、次いで40歳代、30歳代の順となっています。
さらに、有職無職の別で見ていくと、無職の30歳代男性が圧倒的に多く、その動向も、景気動向指数の増減とほぼ同様の動きをみせていることから、国の経済状況と多重債務問題、そして自殺者対策は連動して執り行われてこそ効果が発揮されるということが分かるのではないでしょうか。
改正の引き金となった「八尾市ヤミ金心中事件」
ヤミ金と聞くとどのような印象を持たれるでしょうか?
恫喝的で、昼夜を問わずやってくる執拗な取り立て。
張り紙、待ち伏せ、怒鳴り声といった嫌がらせ行為を連想する方も多いでしょう。
かつて、貸し渋りを見せた銀行融資に、頼るところをなくした利用者は、消費者金融ばかりでなく無登録のヤミ金から年利300%を超えるような高利で仕方なくお金を借りていたのです。
返済が滞ると、他のヤミ金からお金を借りて返済に充て、また、同様のことを繰り返して、挙句の果てには多重債務者となり、巨額の借金に苦しむというストーリーが、あちこちで聞かれました。
そのような状況の中で、多重債務による失踪や自殺、借金の厳しい取り立てを理由とする失業や夜逃げ、さらに、家族崩壊、保険金目当ての自殺や心中など借金問題が社会問題化する度に、政府も動き、法の成立や改正を繰り返し行ってきました。
では、前述したように改正貸金業法の施行には、多くの反対があったにもかかわらず、政府が、法改正に乗り出した理由には、どのようなものがあったのでしょうか。
今回の法改正は、上記に提示してきたように、1990年代にバブル経済崩壊の影響を引きずりながら、ヤミ金が横行してきたことを背景に、法改正を繰り返すも、現状が大きく変わることがなく、それどころか、2000年以降、さらに激しくなるヤミ金被害の状況を打開するため、また、法律に定める金利や貸し付け制限がないことによって多重債務者を増大させたとして、社会問題の深刻化を協議のうえで、改正されたのです。
特に上記に示したように、特に、2000年前後の多重債務者の増加と自己破産者数の上昇、生活や経済苦による自殺者の増大は、これまでに類のない由々しき事態へと状況も悪化するばかりで、社会経済、そして国の治安への影響を鑑みても、どうにかして食い止めなければならない危急の状況でした。
2002年には、ヤミ金に関する警察への被害届が急増、そして、翌2003年には、それまでのヤミ金問題の実態を広く世間に知らしめる事件が起こったのです。
それが、後もヤミ金史上最悪の事件と言われる「八尾ヤミ金心中事件」です。
2003年6月、大阪府八尾市の清掃作業員の男性(享年61歳)とその妻(享年69歳)、そして保障人だった妻の長兄(享年81歳)が、JR関西本線の踏切で投身自殺をしたという事件です。
自殺の理由は、ヤミ金融による法外な利子と違法な取り立てを苦にしたもので、高額の利子の支払いを強要されていたというものでした。
2003年6月14日午前0時過ぎ、最終列車が八尾駅ホームを出発、安中第2踏切で、3人は命を絶ちました。
前年の2002年、夫の定年退職後、夫婦2人はアルバイトで生計を立てていましたが、家族3人それぞれの入院が重なり、入院費用等で消費者金融からの借金で生計を立てる生活を続けていました。
しかし、それが長く続くわけもなく、自己破産。
自己破産後、ヤミ金から電話やダイレクトメールが届くようになり、生活が立ち行かなくなっていた夫婦は、やむなくヤミ金を利用。
それからが、地獄の始まりだったという訳です。
警察署に相談に赴くも「ヤミ金の支払い要求に応じてはいけない。強く出るように」というばかりで、連日の取り立てが収まるわけもなく、執拗な取り立てと、切迫する生活、そして、日ごとに膨らんでいく借金に心中を選んだというものです。
参考記事:
しかし、この時の警察の対応ばかりを責めるわけにはいかないでしょう。
市民の生活を守るべき警察も法の制約にあっては、二の足を踏みます。
当時の法律では、取り締まりは極めて難しかったからです。
仮に出資法違反で容疑者を逮捕できたとしても、300万円以下の罰金あるいは、懲役が設けられていたものの、初犯の場合では、ほとんど実刑にはならないという現状があったからです。
ヤミ金業者は、執拗で狡猾な手口で、夫婦を追い込み、暴力によって3人の人生を奪ったのです。
時代の現状を代表するようなこの事件は、連日報道され、報道熱が冷めてからも、しばらく残像として人々の内に留まりました。
それまでも、ヤミ金を危惧する報道や記事はありましたが、世間を騒がせ、多くのマスコミによって連日のように報道されたのは、この事件が契機だったと言っていいでしょう。
また、多くの債務者を恐怖に陥れた事件後の翌7月には、一ヶ月というスピードで、ヤミ金対策法が成立。
しかし、この事件後も、ヤミ金事件は、後を絶ちませんでした。
ヤミ金による小学校への取り立てや待ち伏せ、「子供の指で借金を帳消しにしてやる」「香典で返せ」と言った恫喝と被害は大人ばかりではなく、小さな子供にまで及び、債務者による痛ましい事件や容赦のない取り立て等による事件は次々と報道されたのです。
そして、これらの事件を契機に、政府も重い腰を上げ新たな対策と法改正に乗り出したのです。
上記でも述べた通り、「改正貸金業法」の施行にあたっては、改正後の社会の変化や貸金業者の存続、また、それらを施行することでさらなる状況の悪化が危惧されるなどさまざまな意見の対立があったわけですが、それらを差し置いても改正が強行された背景には、命の危険や人の尊厳に関わる事件が、増幅していたという背景があったのです。
3.「改正貸金業法」施行後の問題とは?~損をした人、得をした人~
3-1 「改正貸金業法」施行後、その状況は改善されたのか?
「改正貸金業法」が施行された後、本当にヤミ金被害が減り、多重債務問題は改善されたのでしょうか。
以下では、施行後の多重債務者、ヤミ金、そして、消費者に関するそれぞれの状況を見ていきます。
多重債務者に関する状況
上記でも取り上げたように、「多重債務を原因とする自殺者数」は、改正貸金業法完全施行後2011年には998人、2014年677人と減少してきました。
以下は、「多重債務を原因とする自殺者数」ではないため厳密な言及はできないが、2003年の「生活・生活問題を理由とした自殺者数」が8897人であったことから比較しても、その数は減少傾向にあることが分かります。
また、「貸金業者からの借入が5件以上の多重債務者」の推移を2007年から比較しても、改正貸金業法が完全施行から数年後の2015年には、約14万人へと減少しています。
さらに、全国消費者生活センターへ寄せられた多重債務問題相談の件数も2008年の9万5162件から2014年には2万9942件へと大きな変化を見せています。
また、2000年初頭に20万件を超えていた自己破産件数も改正貸金業法完全施行直後には、10万件強と約半数以下に減り、2015年には、数万件までに減少してきました。
このように法改正を機に多重債務者が減少したことは、改正貸金業法施行の効果と見るべきでしょう。
闇金融に関する状況
では、ヤミ金に関する状況はどうでしょうか?
施行後の2011年には、無登録・高金利事犯の件数は254件、2015年には、140件に減っています。
しかし、事件による被害総額を見てみると、2011年の116億8444万円から、2015年には160億8387万円とに増えているのです。
また、ヤミ金関連事犯件数についても詳しく見ていくと、2011年には112件であるのに対して、2015年には302件に増えているという状況です。
ここで言う、無登録・高金利事犯とは、貸金業法違反(無登録営業)や出資法違反(高金利等)関連での検挙数。
一方のヤミ金融関連事犯とは、貸金業に関連した(なりすましの口座の悪用等の)犯罪収益移転防止法違反、不正に他人の携帯電話を利用した罪、その他、詐欺などが含まれています。
これらのことから分かることは、貸金業法や出資法の改正によって、その法の範囲での改善は見られたものの、法の改正によって収入源をなくしたヤミ金業者が、新たな手法を生み出し、それによって、違法に利益を得る方法を編み出しているということです。
改正後、ヤミ金に代わって台頭してきたと言われるソフト闇金もその一つと言えるでしょう。
参考記事:
消費者に関する状況
では、それまで貸金業者を利用してきた消費者金融は、総量規制等で規制が強化された法の下で、どのように変化したのでしょうか。
改正後(2010年8月から9月の1か月間)の資金需要者の動向調査を見てみると、施行後たった1か月間で、正規の貸金業者が貸し付けをしてくれなかったといった理由から、仕方なくヤミ金を利用下人が2.7%も存在しているという事実は見逃すことができないでしょう。
また、総量規制で貸金業者から借りることができなくなった専業主婦(主夫)など収入のない人たちが、ソフト闇金を利用しているという話もよく聞くところです。
さらに、クレジットカードショッピング枠の現金化も貸金業法の完全施行後に浮上してきた問題のひとつです。
はじめに確認しておきたいことは、クレジットカードを利用して現金を得るという取引は、クレジットカード契約違反である上に、刑法上、詐欺罪に問われる可能性があるため、消費者は、注意しなければなりません。
しかし、そのことを知ってか知らずか、貸金業法改正後に、総量規制の導入によって融資を受けることができなくなった人が増え、クレジットカードを利用して現金を得るという方法を利用したことで、トラブルに巻き込まれたというケースが増えてきたのです。
国民生活センター等への「クレジットカードショッピング枠の現金化」に関する相談件数も改正以前の2006年には86件ほどですが、改正施行後の2011年には616件、2012年には440件と5倍以上に跳ね上がっています。
クレジットカードショッピング枠の現金化は、クレジットカードのショッピング枠を利用して、商品売買を仮想、やり取りがあるかのように見せかけてクレジット会社に取引先への支払いをしてもらい、取引先から、値段を上乗せした商品代金から手数料を差し引いた分が利用者に支払われるといった仕組みのものです。
しかし、上記のシステムを利用し、代金を支払ったものの、商品はおろか差引分の商品代金も支払われないといった事例が後を絶たなかったのです。
参考記事:
当サイトでもすっかりおなじみ、金無和也くんがクレカ現金化の実態を語るページも参考にしてください。
借金をする人たちの収入を見てみると、一番多い層は、低所得者です。
改正貸金業法は、低所得者層の中でも、さらに経済弱者を陥れる法案にはなっていないでしょうか。
もし、ヤミ金の数自体が減っていても、ソフト闇金やクレジットショッピング枠の現金化へと利用者が移行しているのだとすれば、ソフトヤミ金自体の巧妙な運営体制自体への見直しだけではなく、今後の改正では、利用する側の消費者自体の(貧困に陥るその原因や経緯も含め)貧困問題への解決策と経済弱者救済案、消費者側へのさらなる教育の強化も重要なポイントとなるでしょう。
3-2 消費者金融の独り負け?法改正後の消費者金融の状況
栄枯盛衰の消費者金融
「改正貸金業法」が施行された後、最も大きな打撃を受けたのは、貸金業者と言っていいでしょう。
それらを代表するニュースとして、武富士破綻が挙げられるでしょう。
かつて、4大消費者金融と呼ばれた、「武富士、アイフル、プロミス、アコム」のひとつ、武富士は、2010年6月18日の貸金業法改正完全施行からわずか3カ月というスピードで、
過払い金返還の負担を理由に破綻したのです。
その過払い金の負担額は、推計で、2兆4000億円と言われています。
法改正以前、上限金利引下げや総量規制導入に対する消費者金融からの経営環境の悪化を懸念する反対の声は大変なものでした。
「事業を継続できるか心配」「採算が取れない」「個人に対する小口融資が激減する」「貸金市場全体が停滞する」その他、「資金需要者が困窮し、社会的な問題が起きるのでは?ヤミ金に資金需要者が流出する」などさまざまな声が上がりました。
しかし、強行施行後、貸金業者からの懸念や不安は、現実のものとして当事者に立ちはだかったのです。
かつて消費者金融は、そのピーク時の1986年には47504社もの業者がひしめき合い隆盛を競っていました。
派手なCMや広告は、バブル経済の煌びやかさ同様に輝きに満ち、その景気の良さを浮き彫りにしました。
そして、大手消費者金融は経団連に加盟し、日本経済をけん引するような企業へと上り詰めたのです。
しかし、その華やかな様相も煌びやかさも、今では、幻のようになってしまいました。
2003年のヤミ金対策法施行後には、2万3708件、さらに、改正貸金業法施行後の2015年には、2011社と大変な数の貸金業者が消えていったのです。
総量規制とグレーゾーン金利撤廃が消費者金融に及ぼした影響とは?
このように消費者金融が、法改正と共に衰退していった大きな理由は、総量規制とグレーゾーン金利撤廃の影響と言えるでしょう。
まず、総量規制の導入によって、消費者金融は、専業主婦(主夫)や学生、その他、収入のない顧客層への貸し付けが規制されたために、多くの利用者層を逃すことになります。
また、それまで高いリスクを抱えながらも、高い金利で収益回収できると貸し付けを行ってきた低所得者層への貸し付けについても、規制強化による上限金利引き下げによって、利息収益を失うという事態に陥ったのです。
また、さらに消費者金融を追い込んだのが、グレーゾーン金利撤廃による過払い金返還請求でした。
改正前の出資法の上限金利が29.2%、利息制限法がそれぞれの金額に応じて15%-20%としていたものを改正後、出資法の上限金利は20%となり、これまでの利息制限法に倣い、10万円未満の金利は20%、10万円以上100万円未満であれば18%、100万円以上は、15%と
規制されたのです。
では、グレーゾーン金利撤廃による過払い金請求は、どのくらいの額になるのでしょうか?
例えば、1年間で、100万円の借金をしていたとします。
これを改正前の金利で計算すると、
元本100万円×金利29.2%=1年間の利息29万2000円
また、これを改正後の金利で計算すると
元本100万円×金利15.0%=1年間の利息15万0000円
改正前の利息分から改正後の利息分を引いた数か、過払い請求することができる金額です。
(改正前の利息)29万2000円~(改正後の利息)15万0000円
=過払い金請求分14万2000円
一件の消費者金融が、どの程度の貸し付けをどのくらいの金利で行っていたかにもよりますが、ただでさえ、貸金業法改正によって、主力であった顧客層を一気に奪われ、その上、金利を引き下げられたにもかかわらず、1人の顧客にこれだけの金額を支払わなければならないのです。
武富士は、2兆円以上の過払い請求によって倒産したわけですが、その状況は、大手に限らずであったことが、貸金業者における登録業者の推移を見ても分かるでしょう。
3‐3 総量規制の導入で、銀行は本当に得をしたのか?
快進撃の銀行カードローンの裏にはどのような経緯があったのか?
このように、消費者金融がかつての勢いをなくし、運営が圧縮されていく中で、その反対に勢いをつけてきたのが、改正貸金業法施行直後の銀行の消費者カードローン部門です。
貸金業者も銀行も同じく金融を取り扱うという点では、違いはありませんが、消費者金融は、「貸金業法」、銀行は「銀行法」と遵守すべき法が違っています。
その違いによって、銀行は、総量規制から逃れることができたのです。
その結果、2009年の消費者向け貸付残高は、資金業者が約1億6千万円、銀行が3200万円、それが法改正後の2015年には、貸金業者の貸付残高は、一気に縮小し、一方で、銀行の融資残額も1.5倍に上昇していくのです。
この2010年以降の消費者金融から銀行への利用者の流れは、この時期の銀行にとっては、不幸中の幸いであったと言えるでしょう。
この後も、総量規制外というメリットを生かして順調に取引数を増やしていった銀行には、やっと見つけた収入獲得の突破口を必ずものにしなければならないという苦境の背景がありました。
バブル経済崩壊以降、多くの不良債権を抱えてきた銀行は、多難続きの国内外の金融市場の動きの中で、その存続さえも脅かされる大変な時代にあったのです。
景気縮小やリーマン・ショック、ゼロ金利政策や金融ビッグバン、さらには、近年のマイナス金利政策導入によって、収益悪化が続き、長年養ってきたそのビジネスモデルや体質、事業形態までをも根底から改善していかなければならないという状況の中にありました。
1990年代から2000年初頭にかけて、日本の金融業界を牽引してきた銀行は、経営不振を理由に相次いで合併やグループ化を決行、生き残りのために銀行以外の企業と業務提携を行う企業も多くみられました。
経営不振が続き、破綻する銀行やそれらを逃れるために、合併や統合を繰り返し、基の名称やかたちさえ見えなくなってしまった銀行も数多くありました。
その代表的な例が、都市銀行の合併です。
経済力は、6倍に跳ね上がり、国内総生産がアメリカに次いで世界第2位と、長期にわたる高度経済成長期を経て、経済大国となった日本は、1970年には、15行の都市銀行を抱えていました。
しかし、市民生活の経済的混乱を防ぎ、金融市場の安定のため、長期にわたって続いてきた金融保護(「護送船団方式」)が、金融ビッグバンの大金融改革を機に崩壊し、銀行は手厚い後ろ盾をなくすことになったのです。
これを境に都市銀行は、経営破綻や合併によって、1999年には9 行、その後4行までに集約されていきます。
誰もが「銀行は潰れない」と信用の拠り所として信じて疑わなかった「銀行」と大手の安定神話が脆くも崩れていったのです。
そのような状況の中で、起死回生の方策のひとつとして銀行が取り組んできたのが、個人向けの無担保融資だったのです。
総量規制や上限金利の引き下げで、経営難に陥っていく貸金業者を横目に、銀行は、躍起になって顧客獲得へと動き始めるのです。
銀行は、これまでの硬質なイメージと銀行という信頼性、さらに低金利での貸し付けという好条件を盾に一気に躍進を見せていきます。
銀行カードローンのテレビCM や広告など、これまでの銀行の体質からは考えられないような宣伝が数多く見られるようになったのも、この時期からと言っていいでしょう。
参考記事:
改正貸金業法施行で銀行は得をした!?銀行カードローンに総量規制が導入される日は来るのか?
2010年の「改正貸金業法」施行は、まさに銀行にとっては不幸中の幸いとなりました。
しかし、対岸の火事と高みの見物をしていられるほどの猶予は、銀行にはありませんでした。収益獲得の突破口として、好調な滑り出しを見せた銀行カードローンを脅かす事態が、ほんの数年後に起きるのです。
銀行カードローンに対する規制強化の導入案や過剰貸し付けへの懸念、そして、多重債務者の増加を危惧する声は、2007年から続く多重債務者対策有識者会議でも上がっていました。
また、日弁連や日本司法書士連合会など法律関連の各部署から銀行カードローン事業への取り組みを問題視する声も上がっていたのです。
さらに、改正貸金業法施行後、銀行カードローンは、ごく短期間のうちに勢いを増し、一気に顧客を増やしたことによって、それらを懸念する声は、さらに大きくなり、多重債務者の実態はないのか?過剰貸し付けは行われていないか?という注視を各界から受けるようになっていったのです。
そのような各界からの声と動きを受けて、2016年末に銀行カードローンは、とうとう金融庁から調査を受けることになったのです。
参考記事:
総量規制のかからない銀行が順調にカードローンの売り上げを伸ばす一方で、利用する側の多重債務問題や借金苦による社会問題に改正貸金業法導入以前から注力してきた金融庁が、消費者ローン問題の再燃を危惧し、銀行による融資残高逆転劇の翌2016年末に銀行カードローンをめぐる取り組みについて調査に乗り出したのです。
銀行業務の適切な遂行と多重債務者や利ざや目的の過剰融資の実態とその有無、過剰な広告や融資審査の実態について銀行カードローンの状況調査は、現在も引き続き行われています。
銀行カードローンは、総量規制対象外であるため、それらを理由に、今後ますます融資が増えれば多重債務問題が再燃するのではないかと各界が危機感を募らせています。
そのような状況の中で、今回の金融庁による実態調査に粗悪な結果が出てしまった場合、どのような措置が取られることになるのでしょうか。
結果によっては、注意喚起や改善命令に留まらず、銀行カードローンへの「総量規制導入」も、もしかしたら起こり得ることなのかもしれません。
4.まとめ~総量規制は緩和されるのか?それとも銀行に総量規制が適用されることに!?
カードローン収益が好調と言われる銀行もまだまだ予断を許せない状況が続いているのが現状です。
そのような中で、銀行による多重債務者の増加への対策として、銀行側に仮に総量規制が導入されるとすれば、貸金業法改正後に消費者金融が苦渋を飲み、日本の消費者金融業界の存続さえも危ぶまれるような状態に陥ったように、銀行にも同様の問題が降りかかりはしないでしょうか。
さらに、総量規制の導入によって、収入のない人たちや専業主婦(主夫)、低所得者層が仕方なくヤミ金を利用したという実態があるように、利用する側の消費者の動きから新たな問題が発生することはないのでしょうか。
金融庁による調査結果とそれによる今後の展開には、一般の消費者も注意して見ていく必要がありそうです。
また、一方で、「改正貸金業法」施行後の貸金業者の切迫する現状と消費者側の新たな問題を受け、2014年には、「改正貸金業法」規制緩和のニュースも見られました。
具体的には、貸金業法の改正によって、20%に引き下げられた金利を29%に再び引き上げ、総量規制を撤廃、もしくは、規制範囲を拡大することで、小口の資金需要に柔軟に対応できるように改めるというものでした。
ただ、これらについても、問題の再燃を理由に反対派の意見が根強く、反発が続いているところです。
さまざまな問題に取り組み、社会問題の打開策として、規制強化された「改正貸金業法」は、消費者金融を苦境に陥れたものの、公布当初のさまざまな問題は改善されつつあります。
それを消費者金融の状態や社会経済状況、新たな問題を理由に再び「再改正貸金業法」施行を強行することは、あるのでしょうか?
いずれにしても、今後、消費者が注意すべきことは、これからの動きと情報に耳を傾け、新たな展開を正しく理解し、状況をきちんと把握することです。
それは、自分が被害者にならないための最大の防衛策になるからです。
貸金業法が改正された時にも、その認識率は、カードローン利用者でさえ高くはなかったという統計が出ています。
最近では、過払い金の広告やCMが盛んに流れているために、知らなかったという方の人数は、既に低くなっていることと思われますが、知らずに過払い金の返還請求をしなければ、大変な額を手放すことになりかねません。
自分の資産の状況は、自分しかわかりません。
ですから、自分で守らない限り、誰も助けてくれないということを念頭に、日々移り行く状況をきちんと把握していくことで、自分の資産を守るということを心がけたいものです。
さらに、完済はしたが、一度、多重債務に陥ってしまったという多重債務経験者が、再び多重債務に陥ってしまう割合は、30-40%と言われています。
基本的なことではありますが、特に、カードローンを利用されている方やこれから利用する予定のある方は、カードローンに関する新しい情報には常に目を配り、また、いつの間にか多重債務者になっていたということのないよう自分の家計に見合った借入をするようにすることです。
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